鏡
私は子供の頃、母の三面鏡の前にずっと座って、鏡を見ながら歌を歌ったり、ただずーっと自分の顔と睨めっこしながなら、かなり長い時間をいつも過ごしていた事を、最近久しぶりに思い出した。
母のご飯だよ、と呼ぶ声で、ようやくハッと気がついて、しばらくして立ち上がるという位、集中して睨めっこしていたのだから、相当、変な子供だったし、その姿を見ていた両親はどんな風に思って黙ってそっとしていたんだろう?と思う。
今思うと、なんでそんな事をしていたのか?向き合いながら何を思っていたのかも良く思い出せないけど、何故かその場所が落ち着くし、その時間が心地良かったんだ、という感覚だけは今でもしっかり残っている。そんな自分の中に潜んでいる記憶もあり、このブログのタイトルに鏡をつけた、ということもある。
幼少期から何十年も経ち、今でこそ鏡に向かって歌を歌うことは無くなったが、自分を心の中の鏡に映していることは、全くあの頃と変わらないでいるんだな、とあらためて気づいた。
きっと、あの頃も今もこの先も、私は鏡の中の自分と睨めっこしながら、一日一日を生かされていくのだろうな。。
30年間の鏡
この3月で結婚し30年目の結婚記念日を迎えました。
30年前、結婚と同時に私自身を取り巻く場所も時間も人も0出発からの、リセットからのスタートでした。しかし、今思えば、それはリセットではなく、それ以前の私自身があったらからこその、新たな出発であったと、今ようやく自分の中で腹落ちし思えるようになりました。
そして、これからの私の人生。
「この30年間があったらからこその、これからのスタート!!」と考え、これからを更に楽しみに思えている、今の自分になっていることに感謝します。
良き事も悪しき事も、嬉しきことも悲しきことも、誇れることも恥ずかしきことも、全ては今の自分を造り出す為のプラクティスであったのだと思います。
さて、今日も明日のためのプラクティスを始めましょう!!
「調える」年に
2021年に入って今日は1月11日。
静かなゆったりとした年明けからの幕開けとなった。
少し前に偶然インターネットで見つけた、自然に体に中に、すーっと入ってきた素敵な言葉を見つけた。
1974年「婦人画報」に掲載された裏千家前家元夫人、千登三子さんのインタビュー記事の一節に「心を調える」という言葉である。
はじめ「調える」とは?という言葉が気になり調べると
乱れたものをなおす、という意味の「整える」に対し、「調える」は、必要なものを用意する、まとめる、という意味だということが分かった。
つまり、調和、調子という言葉からも、体裁をきちんとするという事ではなく「丁度いいバランス、程合いを調える」と、私なりに理解した。
今年の始めに、心に留ったこの「調える」は、今の私にぴったりだと思う。
様々な変化の中にあるからこそ、心身を調える時間を、大切に向き合っていく年としたい。
稀代なる年の終わりに
この稀代なる年の終わりに記しておきたい。
プライベートとしても、コロナ感染による社会変貌の中においても、これほどまでに、1年を通じて、自身とじっくり対峙して過ごした年はなかった。
年の初め、義母の急逝により義父との新しい生活がスタートした。否が応でも即日から新たに始まった毎日の中で、自分の生きていく道に迷い悩み、現在過去未来を行ったり来たり、のたうち回る眠れない夜が続いた。それでも朝は決まってやって来て、空元気を装って、下を向いたままの義父と毎日向き合った。義母の人生の軌跡や、連れ合いを突然失い意気消沈の義父が、少しずつ私に朝食の時、訥々と話してくれる幼い頃の思い出話など、春先まで静かな時間が流れた。そして私の自分に対して出した答えは「私の人生を生きる」だった。義母も義父も、そして9年前に亡くなった私の父も、東京で2年前の大病の後も気丈に頑張っている母も、皆それぞれ自分の人生を歩んでいる通り、私も私の人生を生きれば良いと思えた。
4月からは大学院へ入学し、学びの時間に多くを費やす一年を過ごした。学生となって学びに臨むことは、とても謙虚になれ深く広く吸収できている充実感が、とても嬉しい。
この稀代なる年に時期を同じくして、プライベートとしてもこの様に自分自身を置く場所が、今までと大きく変化したタイミングであった事に、何か不思議さを感じる。
人から笑われてしまうかもしれないけど、私はどうも幾つになっても「これからが本番!」と思ってしまう癖が抜けきれないようだ。
ある授業の課題に「20年後の、なりたき自分の姿」というテーマがあった。私はそのレポートに「20年後の、なりたき自分の姿」は分かりません、と書いた。20年後どころか、5年後だって、一体どうなっているか皆目見当がつかない。今まで生きてきた過去を振り返ってみても、どうも計画を立て粛々と計画を遂行して積み上げていく様な生き方は、不向きな様だから仕方ない。しかし、そういう中であっても、相も変わらず、ずっと続いている事・人・物は私の軸なのだろうと思える。
2020年は稀代なる年であったと今思っているが、ひょっとしたら今以上に、予想だにしない年がこの先、待ち受けているかもしれない。
でも今はこんな風に思う、どんな予期せぬことが起こって、またのたうち回る様な事にで出くわしたとしても、きっとまた、自分の中に潜む軸に立ち戻って、微調整をしながら、しぶとくも私の人生を生き続けるのだろうと。。ホント、懲りない奴だ!
生き続けること
7月12日誕生日を迎え、また新たな1年をスタートすることができました。
こうして健康に誕生日を迎えることができ本当に感謝です。そして、私を産み育て今も元気でいてくれている私の母に感謝です。
今年に入ってからのこの半年間は、本当に「生き続ける」という事に自問自答しながら七転八倒してきた、今までの人生で体験したことのない、苦しくもかけがえのない大きな学びと気づきを得た時間でした。
1月中旬の義母のあまりにも突然すぎる急死で、これからの家族との関わり方に悩み、私自身を見失いそうになりました。これからは義母の生きてきた人生の延長線上を担って生きていくのが私の使命であり、それが正しい道なのではないだろうか?今までの活動や自分が目指そうとしていた経緯は、自分勝手な行為であり許されるものではないのではないか?という迷いと、義母が亡くなってから、すっかり意気消沈しきってしまった義父と共にする新たな生活がスタートし、心の中と日々の生活とが自分の中で上手くかみ合うことが出来ず、本当に苦しくて苦しくてしかたない毎日でした。何も解決できないまま、それでも毎日こうして朝は来て、人は衣食住の日々の暮らしを繰り返していかなくてはならない、などと考えてしまう中、義父と毎朝顔を合わせるまでの間に気持ちを切り替えるのが必死の毎日が暫く続きました。
しかし、その一方、意気消沈の義父と二人で向き合う朝食の時間は、とても静かにゆったり時が流れ、ポツリポツリと話してくれる思い出話は、義父の幼少の頃の、夫も知らない小さな出来事の話まで私に色々話して聞かせてくれました。
人は皆それぞれの人生があり、そしてその人自身の人生を歩んでいる、という考えれば当然ではあるけど、そこに考えが至りつくまでの時間は本当に苦しい長い時間でした。
義母には義母の、義父には義父の、そして私には私の人生がそれぞれの人生があること。
それから迷いは吹き飛びました。周囲の人にどう見られようが、比較されようが、正しいとか正しくないとか、常識がどうのとか、そんな事は本当にくだらない事であることに気づきました。
自分自身が幸せな気持ちでいないのに、どうして相手が幸せな気持ちになるでしょうか?自分の顔に笑みがないのに、どうして相手の顔を笑みにすることができるでしょうか?
私は割り切って、また自分の活動を再開することを決意しました。やりこなしていく算段を色々工夫し、義父と夫と私の3人の新たな生活の歯車が徐々に回り始めました。
今の義父はすっかり、逆にハイ!になり、毎日何だかとってもご機嫌で沢山お喋りをし、食事が美味しい美味しいと食べ、今まで殆ど乗ったことがなかった自転車まで乗り始めたり、お得意の詩吟を再開したり、携帯も持ち始めお友達に連絡して会う様になったり、家族の中で一番元気でパワフル状態になっています。
世の中は、未だ未だこの先予測不能なコロナ禍に陥っています。その中で、個人的にもこのような半年間を過ごし体感し、自分の中に落とし込めてこれた新たな気づきとこれからの決意は、今まで以上にハッキリと明瞭になってきています。
「生き続ける」ことはとても苦しくて苦しくて七転八倒もあるけど、それで終わりには決してならない醍醐味があること。人はどんな状況になろうと「生き続け」なければならないこと。そして自分自身の生き方を貫いて「生き続け」ていくこと。この気づきを大切に、これからまだ続く私の日々を生き続けていきたいと思います。
幸せを生きる
2020年 新年明けましておめでとうございます。
昨年は、自分に大きく舵を切った年となりました。3年間の大学でのキャリアコーディネーターでのキャリア支援業務から現状課題と解決へのステップを、実践を持って多くの学生諸君達と共に享受したこと。多様性あるワークライフをテーマにセミナーをスタートし、フィンランドでの視察から長年想っていた自分の思想や行動が間違えではなかったと後押しされたこと。自分自身の学びのフィールドを新たにスタートしたこと。それに伴い、行動地域も随分広がり、変化した年となりました。
私は最近、人はこの世に「生」を授かった恩恵の報いは「幸せ」を生きることではないだろうか?なんて想うようになっています。自分の意思と関係なく、この世に「生」を授かったことは、とても大きな恩恵です。しかし人生が始まった途端、人は皆それぞれ「意思」を持って生きることが始まります。考えみると、赤ちゃんの時期から高齢になるまで、人はどんな時もどんな場所でどんな状況であっても「幸せ」になることを求めて常に自分の意思で生き続けているのだな、と当たり前に過ごしている日々がそんな風に想えたりしています。「幸せ」の在り方は人それぞれに、また一人の人の中でも変化が伴うのだろうと思います。自分の「幸せ」だけではなく、相手の「幸せ」や、まだ見ぬ未来の人々の「幸せ」に及ぶかもしれません。そう改めて考えてみると人生って、本当に面白いものです。
2020年も、この「幸せ」なるものに向って生きるべき活動を、し続けていきます。
多くを楽しみ、元気に、笑って!!
本日、誕生日を迎え、1つ歳を重ねることが出来ました。
ありがとうございました。
今から数十年前、高校の卒業の時、先生方から一言メッセージをいただく事がありました。ある先生は卒業生一人一人に「●●●の青春!」とその人に合った言葉を書いて下さいました。私へは『面白い青春!』でした。その時は「え??何これ??」とずっと意味が分からず思っていましたが、今は何だか、先生が私にその言葉を贈ってくださったのが分かる気がしています。確かに、あの頃、私は毎日ただ可笑しくて笑って過ごしていたかもしれません。先生には、この子を面白そうにしてる面白い子、として映っていたのかもしれません。
そして最近では
『あんたは、笑ってなきゃもったいないよ!』
と、数ヶ月前、息子に言われました。
その時から、私の中で大きく様々なものが、フーッと吹っ切れ、許容と勇気の新たな光がパーッと広がりました。
正直に生きることは、身勝手で我がままなことではなく「らしく生きる」ということなのだと素直にそう思えるようになりました。
高校の時と同様、私は私らしく
多くを楽しみ元気に笑って、1つ1つを大切に「面白い青春!」を続行していきたいと思います。