稀代なる年の終わりに

この稀代なる年の終わりに記しておきたい。

プライベートとしても、コロナ感染による社会変貌の中においても、これほどまでに、1年を通じて、自身とじっくり対峙して過ごした年はなかった。

年の初め、義母の急逝により義父との新しい生活がスタートした。否が応でも即日から新たに始まった毎日の中で、自分の生きていく道に迷い悩み、現在過去未来を行ったり来たり、のたうち回る眠れない夜が続いた。それでも朝は決まってやって来て、空元気を装って、下を向いたままの義父と毎日向き合った。義母の人生の軌跡や、連れ合いを突然失い意気消沈の義父が、少しずつ私に朝食の時、訥々と話してくれる幼い頃の思い出話など、春先まで静かな時間が流れた。そして私の自分に対して出した答えは「私の人生を生きる」だった。義母も義父も、そして9年前に亡くなった私の父も、東京で2年前の大病の後も気丈に頑張っている母も、皆それぞれ自分の人生を歩んでいる通り、私も私の人生を生きれば良いと思えた。

4月からは大学院へ入学し、学びの時間に多くを費やす一年を過ごした。学生となって学びに臨むことは、とても謙虚になれ深く広く吸収できている充実感が、とても嬉しい。

この稀代なる年に時期を同じくして、プライベートとしてもこの様に自分自身を置く場所が、今までと大きく変化したタイミングであった事に、何か不思議さを感じる。

人から笑われてしまうかもしれないけど、私はどうも幾つになっても「これからが本番!」と思ってしまう癖が抜けきれないようだ。

ある授業の課題に「20年後の、なりたき自分の姿」というテーマがあった。私はそのレポートに「20年後の、なりたき自分の姿」は分かりません、と書いた。20年後どころか、5年後だって、一体どうなっているか皆目見当がつかない。今まで生きてきた過去を振り返ってみても、どうも計画を立て粛々と計画を遂行して積み上げていく様な生き方は、不向きな様だから仕方ない。しかし、そういう中であっても、相も変わらず、ずっと続いている事・人・物は私の軸なのだろうと思える。

2020年は稀代なる年であったと今思っているが、ひょっとしたら今以上に、予想だにしない年がこの先、待ち受けているかもしれない。

でも今はこんな風に思う、どんな予期せぬことが起こって、またのたうち回る様な事にで出くわしたとしても、きっとまた、自分の中に潜む軸に立ち戻って、微調整をしながら、しぶとくも私の人生を生き続けるのだろうと。。ホント、懲りない奴だ!