若者達へ

 総務省統計局の調べによると、2022年(令和4年)新成人の人口は120万人だそうです。史上予期せぬ社会的混乱期に成人式を迎えることとなった皆さんに心から人生のエールを贈ります❣️

 有り難くも、この度の成人式に出席させて頂き、新成人の皆様にメッセージをお伝えする機会を頂戴いたしました。

 これは私自身これまでの人生で今日ここに至って強く思い願う気持ちを伝えさせていただきました。

「皆さんは幸せになる為の大切な命を授かっておられます。どうぞ、お一人お一人ご自身が幸せになる人生を歩んでいってください。」

 私達は皆、平等に大切な命を一つ授かって今此処に在ります。それは、その命を自分自身が大切に育み幸せになることの定めを持って存在しているのだと思うのです。だから一番大切なことは、自分自身が幸せである事なんだと思うのです。

 人は常に様々な環境、出来事、役割の変化の中、連続的に生き続けています。そういう中で、迷い、不安、卑下、妬み、嫉妬、憎しみなどの感情が起きてくることも極々あたり前のことだと私は思うのです。でもそれらを払拭し、余計な物を身にまとわずとも自然体の姿でいられるのは、自分自身を幸せだなと認めてあげられるかどうか、ただその一点だけだと思うのです。豪華な金品に纏われ幸せだと思う人、青空や朝日や優しい微風を感じる幸せを思う人、幸せの形は様々だと思いますし、一人の一生の中でも幸せの在り方は変化するものだと思います。

この様な思いを込めて、このメッセージを新成人の皆さんにお伝えさせていただきました。

私も再来年、3度目の成人式を迎えます。

その日には、このメッセージを自分自身にも贈ることが出来るようで在りたいと思います。

心の声のまま

2022年元旦。結婚30年来、初めて故郷で年を越し新年を迎えた。

昨年2021年は人生の中の節目年であったと思う。結婚を機に私の環境が0出発してから30年、起業して20年。家族の変化に伴い、自分自身の過去、もっと言うと父母の人生までも紐解いて対話し、そして1つ1つの選択を自問自答しながら、足を進めるべき一歩一歩を決めながら歩いた1年であったと思える。

不思議に日常の言葉が「すみません」から「ありがとう」に変わってきた自分の変化に気がついた。

不思議に心地よいと思う振る舞いが、更に予期せぬ新たな喜びを巡り合わせてくれる日々多くなったことに気がついた。

不思議に鏡に映る自分の顔が優しく見えると思えることに気がついた。

不思議に他者からのジャッジや世間的ポジショニングが、殆ど意味が無いと思えることに気がついた。

不思議に素のままの自分を受け入れてくれる仲間の和に、すっかり溶け込んでいることに気がついた。

世間や人様はそれを「我儘」と言うのだろうか?とも良く良く考えてみたけど、仮にそうだったとしても、やっぱり自分の足を進めた一歩一歩は間違いないと思える。

予期せぬ変化とも平穏の日常でも、都度都度に自己対話しながら決定し、その結果を受け入れ理解しながら、まるで違う場所からもう一人の自分を見ているかのように過ごしてきた1年だったように思う。

2022年の新たな年も、やっと辿りついた「心の声のまま」の一日一日を重ねていきたいと思う。

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トットトコ

朝ウォーキングしていると、頭に浮かび口ずさんでしまう歌。小学生何年生の時だったかも、歌の題名も、歌詞も全部うる覚えだけど、何故か気分が軽やかな時、ウォーキングに限らず今まで何かのタイミングで必ず出てきていた歌。

トットトコトットトコ バスケット持ってトコトコと トットトコトットトコ どこまで行くの

ティラリラリ大好きな、、、、??」

ここまで位しか思い出せなくて、後はルルルルルで、何度もメロディーを繰り返していた。

調べたら中山知子さん作詞・スウェーデン民謡の歌だったと分かった。歌詞を見たら、あまりにも深い人生の機微が、軽やかな描写のストーリーになっていて感激してしまった!

小鳥さんや鹿さんや、野いちごや薔薇の蜜、今まで本当に本当にありがとう。

だから私はこれからも、バスケット持ってトットトコして行こう٩(^‿^)۶

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/tottotoko.html

赦し

今年も誕生日を迎えることができ、1年歳を重ねることができました。

感謝です。大変ありがとうございます。

今、思うことは「赦し」。

結局、私は今まで他人を自分を「許し」てきては、人を責めたり、自分を咎めたり、はしゃいだり、落ち込んだり、勝手に「・・・ねばならない!」とか「・・・は良くて、・・・は良くない」とか、どこにも正解や決まりなんて無いのに、唯々、勝手にパントマイムの何とも忙しい演者の自分と向き合っていたのかもしれない。

自分の中の真ん中を、よくよく覗き込んで観察してみると、いたって静かにシンプルでストレートな、何とも愛おしいものが見える!

何で、そこを今までもっとちゃんと見つめてきてあげなかったんだろう?と過去の私に「ごめんね」そして「ありがとう」と言いたい自分が今、ここにいる。

これからは唯一無二の愛しい自分の真ん中と、ちゃんと向き合っていけたらと思う。

私は子供の頃、母の三面鏡の前にずっと座って、鏡を見ながら歌を歌ったり、ただずーっと自分の顔と睨めっこしながなら、かなり長い時間をいつも過ごしていた事を、最近久しぶりに思い出した。

母のご飯だよ、と呼ぶ声で、ようやくハッと気がついて、しばらくして立ち上がるという位、集中して睨めっこしていたのだから、相当、変な子供だったし、その姿を見ていた両親はどんな風に思って黙ってそっとしていたんだろう?と思う。

今思うと、なんでそんな事をしていたのか?向き合いながら何を思っていたのかも良く思い出せないけど、何故かその場所が落ち着くし、その時間が心地良かったんだ、という感覚だけは今でもしっかり残っている。そんな自分の中に潜んでいる記憶もあり、このブログのタイトルに鏡をつけた、ということもある。

幼少期から何十年も経ち、今でこそ鏡に向かって歌を歌うことは無くなったが、自分を心の中の鏡に映していることは、全くあの頃と変わらないでいるんだな、とあらためて気づいた。

きっと、あの頃も今もこの先も、私は鏡の中の自分と睨めっこしながら、一日一日を生かされていくのだろうな。。

30年間の鏡

この3月で結婚し30年目の結婚記念日を迎えました。

30年前、結婚と同時に私自身を取り巻く場所も時間も人も0出発からの、リセットからのスタートでした。しかし、今思えば、それはリセットではなく、それ以前の私自身があったらからこその、新たな出発であったと、今ようやく自分の中で腹落ちし思えるようになりました。

そして、これからの私の人生。

「この30年間があったらからこその、これからのスタート!!」と考え、これからを更に楽しみに思えている、今の自分になっていることに感謝します。

良き事も悪しき事も、嬉しきことも悲しきことも、誇れることも恥ずかしきことも、全ては今の自分を造り出す為のプラクティスであったのだと思います。

さて、今日も明日のためのプラクティスを始めましょう!!

「調える」年に

2021年に入って今日は1月11日。

静かなゆったりとした年明けからの幕開けとなった。

少し前に偶然インターネットで見つけた、自然に体に中に、すーっと入ってきた素敵な言葉を見つけた。

1974年「婦人画報」に掲載された裏千家前家元夫人、千登三子さんのインタビュー記事の一節に「心を調える」という言葉である。

はじめ「調える」とは?という言葉が気になり調べると

乱れたものをなおす、という意味の「整える」に対し、「調える」は、必要なものを用意する、まとめる、という意味だということが分かった。

つまり、調和、調子という言葉からも、体裁をきちんとするという事ではなく「丁度いいバランス、程合いを調える」と、私なりに理解した。

今年の始めに、心に留ったこの「調える」は、今の私にぴったりだと思う。

様々な変化の中にあるからこそ、心身を調える時間を、大切に向き合っていく年としたい。