ドラマチック

今年もおかげ様で、歳を1つ重ねることができました。

本当にありがとうございます。感謝です。

生き続けることって、なんてドラマチックなことでしょう。。

喜怒哀楽の感情に右往左往したり、予期せぬ出来事に遭遇し、その都度都度に大きな学びを得たり、人との関わりの中で幸せに満ちたり、または悲しみに陥ったり、優しくなれたり、憎しみを抱くこともあったり。

人で居続けることって、なんて厄介なことだろうと何度も何度も思うけど、それでもやっぱり、それ以上に生きてるって素晴らしいと思えるから、また新しい一日を迎え、日々を重なていけるのでしょう。。

誰もが自分の人生を一生懸命生き続けてる真っ最中なのだから、、。

だから人は皆、それぞれにドラマチックで愛おしいのです。

 

私が好きな私

2023年。本日より活動開始。

昨年の今頃は、まだ母は入院中で、私は修論ラストスパートにもがいていました。しかし、春の訪れとともに不安や試練からは少しずつ解きほぐれ、一年を通じて温かな人様の心根に支えられ、そしてそれを素直に享受できる自分になれていけた一年だったように思います。日常の温かな心遣いや、心が解放できる拠り所に、本当に救われありがたく感謝した一年でした。

そして、自分自身と対話する時間も大切に過ごしてきました。何をどう自分の中で受け入れるか、なぜ自分は、そうしたいのか、そう自問自答する中で、いつも私の中から出てくる答えは「私は幸せになるために生まれてきたのだから」でした。

自分が「あ~、幸だなぁ。。」と感じ思える事に、何の遠慮があるものか!と、自信を持って選択していく強さを持ち始めることができた年だったと思います。

そう思うようになってからは「私が好きな私はどんな時?」と考えるようになりました。自分の中で、嫌な顔をして、嫌な言動をしてしまう嫌な自分でいるのは、本当に心身ともに苦しく、そして挙句のはてには、人のせいにしてしまうような悪循環スパイラルに入ってしまったり。

「あ~、幸せだなぁ。。」と感じ思えている私は、良い顔をして、優しく楽しく、きっと可愛い笑顔をしている好きな自分でいるはずです。そうしていると、不思議にワクワク素敵な巡り合いが訪れたり、愛情が深まり心が安堵していく幸福感に満たされていきます。本当は難しいことなんか何一つなく「私が好きな私」でいるように日々を重ねていくこと、ただそれだけのこと、と思えるようになりました。

でも現実は、そんな風に単純にはいきません。嫌な自分とも付き合っていかなきゃいけないときも沢山あります。そんな嫌な自分も愛おしく「よしよし、辛かったね、頑張ったね」と言ってあげられるもう一人の私も、心の片隅にいつも潜ませておいてあげなくちゃ!と思います。

さてさて今年は、どんな年になるでしょう!

飛び切り可愛い笑顔の私でいられる今日を、楽しんでいきましょう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

今を愛しく刻む

今年も誕生日を迎え、1つ歳を重ねることができました。

大変ありがとうございます。とても感謝です。

先日あるところで、こんな言葉を目にし心に残りました。

「過去の私も、未来の私も、今の私とは違う私」

(ちょっと表現が違うと思いますが、凡そ、このような意味かと、、)

今は過去の積み重ねがあり、未来はこれからの積み重ねであるけれど、その一時点で切り取った私は明らかに別の私であるということに、とても合点がいく気がしています。

もっと言うと、自身で意図出来るのは、今ここにいる自分だけなのではないかと。過去は自ずと刻まれ、未来は自ずと導かれていくように思うのです。

過去でもなく、未来でもない、確かにある今を愛しく大切に時を刻んでいきたいと思います。

愛情たっぷりバースディ卵焼き(感謝)

自分へのプレゼント、お気に入りパスケース

愛情たっぷりお赤飯(感謝)

 

若者達へ

 総務省統計局の調べによると、2022年(令和4年)新成人の人口は120万人だそうです。史上予期せぬ社会的混乱期に成人式を迎えることとなった皆さんに心から人生のエールを贈ります❣️

 有り難くも、この度の成人式に出席させて頂き、新成人の皆様にメッセージをお伝えする機会を頂戴いたしました。

 これは私自身これまでの人生で今日ここに至って強く思い願う気持ちを伝えさせていただきました。

「皆さんは幸せになる為の大切な命を授かっておられます。どうぞ、お一人お一人ご自身が幸せになる人生を歩んでいってください。」

 私達は皆、平等に大切な命を一つ授かって今此処に在ります。それは、その命を自分自身が大切に育み幸せになることの定めを持って存在しているのだと思うのです。だから一番大切なことは、自分自身が幸せである事なんだと思うのです。

 人は常に様々な環境、出来事、役割の変化の中、連続的に生き続けています。そういう中で、迷い、不安、卑下、妬み、嫉妬、憎しみなどの感情が起きてくることも極々あたり前のことだと私は思うのです。でもそれらを払拭し、余計な物を身にまとわずとも自然体の姿でいられるのは、自分自身を幸せだなと認めてあげられるかどうか、ただその一点だけだと思うのです。豪華な金品に纏われ幸せだと思う人、青空や朝日や優しい微風を感じる幸せを思う人、幸せの形は様々だと思いますし、一人の一生の中でも幸せの在り方は変化するものだと思います。

この様な思いを込めて、このメッセージを新成人の皆さんにお伝えさせていただきました。

私も再来年、3度目の成人式を迎えます。

その日には、このメッセージを自分自身にも贈ることが出来るようで在りたいと思います。

心の声のまま

2022年元旦。結婚30年来、初めて故郷で年を越し新年を迎えた。

昨年2021年は人生の中の節目年であったと思う。結婚を機に私の環境が0出発してから30年、起業して20年。家族の変化に伴い、自分自身の過去、もっと言うと父母の人生までも紐解いて対話し、そして1つ1つの選択を自問自答しながら、足を進めるべき一歩一歩を決めながら歩いた1年であったと思える。

不思議に日常の言葉が「すみません」から「ありがとう」に変わってきた自分の変化に気がついた。

不思議に心地よいと思う振る舞いが、更に予期せぬ新たな喜びを巡り合わせてくれる日々多くなったことに気がついた。

不思議に鏡に映る自分の顔が優しく見えると思えることに気がついた。

不思議に他者からのジャッジや世間的ポジショニングが、殆ど意味が無いと思えることに気がついた。

不思議に素のままの自分を受け入れてくれる仲間の和に、すっかり溶け込んでいることに気がついた。

世間や人様はそれを「我儘」と言うのだろうか?とも良く良く考えてみたけど、仮にそうだったとしても、やっぱり自分の足を進めた一歩一歩は間違いないと思える。

予期せぬ変化とも平穏の日常でも、都度都度に自己対話しながら決定し、その結果を受け入れ理解しながら、まるで違う場所からもう一人の自分を見ているかのように過ごしてきた1年だったように思う。

2022年の新たな年も、やっと辿りついた「心の声のまま」の一日一日を重ねていきたいと思う。

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トットトコ

朝ウォーキングしていると、頭に浮かび口ずさんでしまう歌。小学生何年生の時だったかも、歌の題名も、歌詞も全部うる覚えだけど、何故か気分が軽やかな時、ウォーキングに限らず今まで何かのタイミングで必ず出てきていた歌。

トットトコトットトコ バスケット持ってトコトコと トットトコトットトコ どこまで行くの

ティラリラリ大好きな、、、、??」

ここまで位しか思い出せなくて、後はルルルルルで、何度もメロディーを繰り返していた。

調べたら中山知子さん作詞・スウェーデン民謡の歌だったと分かった。歌詞を見たら、あまりにも深い人生の機微が、軽やかな描写のストーリーになっていて感激してしまった!

小鳥さんや鹿さんや、野いちごや薔薇の蜜、今まで本当に本当にありがとう。

だから私はこれからも、バスケット持ってトットトコして行こう٩(^‿^)۶

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/tottotoko.html

赦し

今年も誕生日を迎えることができ、1年歳を重ねることができました。

感謝です。大変ありがとうございます。

今、思うことは「赦し」。

結局、私は今まで他人を自分を「許し」てきては、人を責めたり、自分を咎めたり、はしゃいだり、落ち込んだり、勝手に「・・・ねばならない!」とか「・・・は良くて、・・・は良くない」とか、どこにも正解や決まりなんて無いのに、唯々、勝手にパントマイムの何とも忙しい演者の自分と向き合っていたのかもしれない。

自分の中の真ん中を、よくよく覗き込んで観察してみると、いたって静かにシンプルでストレートな、何とも愛おしいものが見える!

何で、そこを今までもっとちゃんと見つめてきてあげなかったんだろう?と過去の私に「ごめんね」そして「ありがとう」と言いたい自分が今、ここにいる。

これからは唯一無二の愛しい自分の真ん中と、ちゃんと向き合っていけたらと思う。