ホットな「何でも屋」チーム

以前、「あなたは、『何でも屋のおかよ』だね」と言われた事がある。その人は「褒め言葉として言っているんだよ」話してくれたが、私には、どうもその言われ方が、薄っぺらな感じがして抵抗があった。
でも、よくよく考えてみれば、確かにやっている事は「何でも屋」と言われるに相応しい、様々な案件の御相談を受けてきているかもしれない。
「あなたの所で、こういう事出来ませんか?」とか「こんな風にしたいと思ってるんだけど、どうしたら良いかね?」とか、、、その段階で思い浮かべていただける事が、如何に有難く、有意義な事かということが、今では非常に良く解る。まさに「何でも屋のおかよ」でなければ、思い浮かべてはいただけないわけなのだから。

10年前に目に止め、目指したいと思ったIDEOの事が書かれた著書「The Art of Innovation」の中に、プロジェクトを進めていく上での「バリア」と「橋」を比較し書かれたページがある。その中で「専門家」と「何でも屋」の比較がある。

「専門家」(バリア)・・・専門知識はすばらしいものだが、それも新しく学ぶことをやめてしまうまでのことだ。たとえば、専門家を自認する人達には、人の話に耳を傾けるよりも自分の話をする人が多い。専門家は「そんなやり方はしない」と言って、迂闊にイノベーションをはばんでしまうことがある。
「何でも屋」(橋)・・・何でも屋は始終、物事や考えを微調整して、仕事や自分自身の改善をしようとする。明日は少しちがうことをやってみることになるとわかっているので、現状維持など考えもしない。プロジェクトを立ち上げ、それを動かしつづけることが非常に得意だ。

10年前に目にしていたはずなのに、そのページに書かれていた事は、すっかり私の記憶から消えていた。今、10年経って、そのページを読み『何でも屋のおかよ』が、なんとありがたき褒め言葉であるか、と理解できるし、そして「ハイ!『何でも屋』です!」と言える自信も、年月の体験の中で持ち得てきたと思える。「何でも」は、受けるだけの技術と知識が要求され、自分に持ち得てなければ、それを調達する裁量をも合わせて要求されるわけだから、常にアクティブでなければならない。
そして重要な事は、「何でも」の中で責任を請け負えないものに対しては「NO」と宣言する判断と責任も合わせて伴うということ。
10年経ってこの著書を読み返し、あらためて、愛すべき「ホットな『何でも屋』チーム」でありたい!と思う。。