桜の頃想うに・・・

昨日、とっても懐かしい方に会った。私が16年前長野に嫁いでから1ヶ月後にパートとして勤めた市役所での担当部所の方だ。昨日はある会議で私がプレゼンをする為、赴いた先にその方が市役所の担当者という事でいらしていた。
16年前には、このような再会のシーンなど全く予想もしなかった。その懐かしい方に会ったので、当時の今のこの桜の頃の事が走馬灯のように、またパーッと思い出された。
いつも桜のこの頃に思い出されるのは、先日3月末の命日にお墓参りに行った、義祖父のこと。義祖父は寡黙な人でいつも静かに黙っている人だったが、なかなかの頑固者でもあった。しかし私にはいつも静かで穏やかな義祖父の顔しか思い出されない。
市役所のパートに勤め始めて間もない、ちょうど今時分、市民課の一番奥の隅の席で外国人登録台帳の記述を作業していた私に「お客さんが訪ねてきてますよー。」と窓口の方に言われた。「えーーっ???私を訪ねて来る人なんか誰も居ないはずなのに。。」誰も知り合いなど居なかった当時、私を訪ねてくる人など全く予想がつかなかった。
窓口に行ってみると、当時80歳を越えた義祖父母がニコニコしながらこちらを見ていた。「公園に桜を見に来たんで、ちょっと顔を見に来たんだよ。」と言って私の様子を心配して見に来てくれた。あの時は、本当に本当に嬉しかった。しかも桜の咲いている間、数度となく、また訪ねてきてくれた。
特に義祖父は、私達のマンションへ時々、自転車で来てくれた。義祖父は来て何を話すでもなく、ただお茶を飲むだけ。寡黙な義祖父と部屋で二人きりになると、私は間をどうやって持たせば良いのか、いつも迷ってしまったが、私の一方的な話をただただ「云々」と聞いて自転車に乗り帰っていった。
義祖父が亡くなって8年が経つ。まだ桜の咲く前の、庭の紅梅が見事に満開だった8年前の春、義祖父は他界した。義祖母は、この6月で95歳の誕生日を迎え、今も現役で家の商売の店番をしている。
命あるものいつかは無くなるが、桜の頃毎年思い出される、市役所の窓口でニコニコ笑って見にきてくれた義祖父母の顔は、私の中でいつまでも消える事はないだろう。