まちづくりの「理想」と「現実」

昨日は「まちづくり」という名の「理想」と「現実」を5分差で体感させられた1日だった。
10時から17時まで終日かけて取り組んでいた「自治基本条例」策定の会合。
その後、17時からスタートしていた、我が家の真正面にそびえ立つ高層マンション再工事の説明会へ。
その会場の移動時間は徒歩でわずか5分だったが、私が置かれた状況は、正に地方都市のまちづくりの実態の「光と影」「表の顔と裏の顔」本当にこのアンバランスの状況を同日5分差で、身に沁みる思いを強いらされた。

委員として2年越しに取り組んでいる「自治基本条例策定委員会」は市民が自ら自分達の住む市の条例を策定し、市制に市民活動に反映していこうというもので、市と一緒にその条例づくりに取り組んでいる。なかなか白熱した会合を毎回繰り返し、昨日はようやく条例を体系化する段階にまで持ってこれたという状況だ。非常に良く組み立てられ、文面に使うキーワードや「てにをは」まで細かくチェックが入るような熱心な委員会の取り組みだ。
しかし、その反面私は常々、これの施行の実現性に、不安と疑問を拭いきれない状況で今日までこの委員会に参加してきた。単なる言葉遊びで終わってしまうのではないか?という不明確さをどうしても拭いきれないのだ。何故なら、この条例は市制に市民活動に反映させる仕組みが確立されていない状況の中で策定してるのが現状だからだ。市側は「反映されていくことになる」と言っているが、どうしても私には明確にその仕組みが見えてこない。往々にして行政主導の市民参画委員会は、施行する為の仕組みづくりが後手後手で、言葉遊びばかりを先行させる事が多すぎる(という体験から、どうしても疑ってしまうのだろうか?)。

こういう懸念を抱いている中、基本条例の会合終了後、スタートしていた高層マンション再工事説明会の会場へと急いで移動した。このマンションは、周囲にはせいぜい6階建ての予備校が1件近くにある位の、実質、住宅地区の中に鉛筆のような14階建の高層マンションを建てる計画のものだ。昨年より市の都市計画課も入り、住民反対運動の経緯もあったが、結局住民が泣き寝入りさせられるような状況の中、工事がスタートした。しかし昨年11月にそのマンション建設会社である某A工務店会社更生法を申請し倒産し、それから今日に至るまで杭工事だけしたまんまの状況で、放ったらかし状態で年越しをし今日にまで至っていたが、昨日、再開の目途がついたという事で、連休明けから工事を再開する説明があった。
しかし、計画には何の変更もなく、周辺住民に対しての影響についての保障には何の進展もないままだ。工事が中止される前までの工事中の4ヶ月間は本当に予想以上の音や匂いは毎日の苦痛と不便さを被り、家族の者は精神的バランスを崩し病院通いまで強いられる状況にもなっていた。その事を聞いても「証明するものが無ければ保障のしようがありません。」と非情な返答で、その対応の仕方は工事前の住民への誠意の無い対応と、何ら変わらないものだった。
市職員の方も4名いらしたが、工事開始が決定した際、約束した「高さ制限を設ける景観条例」について議会に上げるという約束についての報告を、私は今日まで一切受けていないままだ。

これが、これが、地方都市のアンバランスな「まちづくり」と称した実態なのだ。
グランドデザインの無い、飛び石的な、施行の仕組みの伴わない「言葉あそび」や「プランづくり」と「単発花火の地域活性イベント」。その繰り返しを何度も何度も。

1日に直面したこのギャップの現実を、自分の中でどう消化すればよいのか?夕方の会合終了後、しばらく座ったまま、私は動く気がしなかった。