まちづくりの「理想」と「現実」Par.2

マンション工事再開説明会の最後に私は挙手をして、こう発言した。「地権と建築許可認可の権利を主張しこの地に建築をするのであれば、地域との協調に対する使命も同様のウエイトでその責務も果たして欲しい。東京の様な大都市では、何ら違和感もない14階建てマンションも、この地域の環境にとっては非常に異例な物であって周囲に与える影響が大きい事を、東京とは全く違うのだという事を今一度再認識をしてほしい。地方都市に大企業や大規模建設で参入してくる企業が他にも沢山ある、そういう中で地元地域との共生を図って、地域に認知され上手く成果を出している企業は多々あることをご存知でしょうか?ここの問題のみならず、長い歴史を持って培われた地方の風土の中、新しいものが参入する為には、そういう配慮が最も重要なことであり、企業の責務として果たすべき最も重要な事ではないでしょうか?貴社では、その様な事に対しての理念はおありですか?あるとすれば、どのような事をお考えか聞かせていただきたい。工事を再開し進めていくのであれば、是非そういう事に大いに期待をしたいと考えます。」と。
会合終了後、先方の代表者が私の方へ寄ってきて「おっしゃる通りでございます。私も全くその様に思います。●●地区では全く周囲の問題が起きずスムーズに工事が進みました。配慮が大切だという事は、重々わかります。言葉だけではなく、実際、行動としてしめさなければいけませんよね。」と。。。
私はこの人の言ったこのような発言を私的なブログだが、ここの記録として留めておきたい。

どの生物も生態系を保ちながら生きている。その中に突如として異例な生物が参入してきたら、その生態系は崩され、そして新たな生態系ができるであろう。生態系は変化してしかるべきだと思う。異例な者の参入もあって当然だろう。しかしながら、どの生物も生態系を保つための「共生」を図りながら生態系ができ生命を維持している。人間だって全く同じではないだろうか?虫や鳥や動物が本能として持つ生きる為の営みを、人間だけ何故できないのだろうか?

行政の進めようとしている数々掲げている改革プランもしかり、その中に多く登場する言葉遊びの「共生」はもう沢山なのだ。、「共生」を実施していく「仕組み」づくりこそ早急に対処しなければならない事ではないか。その対処が本当に遅い、遅すぎる。地域内分権がさけばれる昨今だが、その権限を本当に運営していく能力がある地域とは、一体どれほどであろうか?と考えさせられる。

経済も政治も自然環境も歯車が狂い出し、課題解決できないまま翻弄している今の私達。もっと謙虚にもっと真摯に受け止め、真剣になって解決策に一人一人が取り組まなければ、子供達へバトンタッチできる社会は出来ないだろうと思う。

人は、こういう具体的な問題に直面すると、色々深く考えさせられるものだ。私に、こういう問題を課せられた事も、何か立ち戻って考えなさい!という警告なのかとも思う。