壊されゆく旧家

今、お迎えさんの旧家がマンション建設の為、壊されていく様子を、私の部屋の窓から見ている。丸窓や格子窓がある白壁の旧家であるお宅が、大きなショベルカーで、ガンガンと欠き崩されていく様を見るのは、非常に悲しい光景だ。向こうに見える山の風景も遮る高層マンションが、やがて目の前にそびえ立つ予定だ。
木造のメキメキという壁が崩される音が、悲鳴の様に感じて、痛ましい気分になってしまうのは、私だけだろうか?もちろん、個人のお宅について干渉する権利など、私には全くないが、歴史あるものが壊されるその先には、どうか、その歴史の重さを引き継いだ『新生』であって欲しい。というか、そうでなければいけない責任があると思って欲しい。
マンション建設後その先の四世紀を、どのような新たな歴史を育んでいくイメージがされているのだろうか?