「豊」から「飽」

最近私の住む町では、軒並み商店がつぶれマンションが建てられている。地方の市街地と言われている、個人商店で賑わっていたところは、車の乗り入れの便利な郊外の大型マーケットに集客をとられ、商売の継続に苦しく、個人商店は閉店売却せざるを得ない状況に陥り、挙句マンション建設になっている状況だ。
東京の隣接した立地環境ならともかく、自然に恵まれたこの土地環境で、地べたの見えないマンション住宅が好まれるのが、不思議でならないが。そして市街地マンションに住み、車で離れた所にある大型マーケットへ行って買い物をする住人。
ネギ一本買うのに、立体駐車場の3Fまで車を乗り入れ、さらにエレベーターで1Fの食品売り場まで降りなければならない大型マーケットを不便に思う市民も多いはず。決して、すべて大型マーケットがBetterではないはずだ。
道路特定財源、地方の道路建設中断が取り沙汰されている昨今、全ての地域に該当するとは言わないが、今一度、地域コミュニティーデザインを見直す事が、今の日本には最も重要な課題であり、即刻の対策が必要だと思う。
車など乗らなくとも、日常の生活食料品・日常品には事かかず、日々の営みが、その地域内でそれなりに成り立っていた日本。近くにお店がなくても、定期的にやってくる行商のおばちゃんから魚を買い、洋服だって年に数回の即売展示会がもてはやされていた頃。今は、通販、ネットショップだってOKなのだから常にSからLLサイズまで品揃え良く大量に陳列している大型ショップは要らない。
「豊食」は「飽食」に「豊物」は「飽物」に。人としての「品性」は「貧性」に。今や「豊」は「飽」にそして「品」は「貧」に置き換わってしまっている。その挙句、物価高騰の煽りをくらい、自分で自分の首を絞めている状況だ。人にとっての本当の「豊」を見つけるのは、やはり人に委ねられている。さて、はたして私は「豊品LIFE」だろうか「飽貧LIFE」だろうか?