子供の学び

連日のように報道される「いじめ問題」「学校責任」。正直、もういい加減にして欲しいというのが個人的な意見だ。あまりに過度な報道やそれに乗じた特集。お陰で、本来穏やかで健やかに過せたはずの子供達の学び舎学校は、必要以上に「いじめ」や「学校責任」に過敏になり、先生も子供達も父兄も心理的に異常を来たしてきている。
「デーブデーブ百貫デーブ」「バーカ、カーバチンドン屋、お前のカーさん赤デベソ〜」と散々、言われたり言ったりしていた子供時代。おしゃべりな私は、学校で在った事を家で良く話し、ちょっとでも男の子にいじめられた話をすると、父はその子の家へ怒鳴り込んでいく程、親バカで非常に恥ずかしく思った事もあった。でも今の様に両者とも深刻な暗い事にはならず、時間がたてば同じような繰り返しになっていたような???
教室でも、「バカ者!静かにしろ〜。バシン!!」とお尻を先生に叩かれる子など日常茶飯事で、時にはクラスの悪ガキ生徒と先生の漫談のようなやり取りで、教室中笑いがおこったりしたものだ。
私も小学校4年生の時、クラスの女の子全員に口をきいてもらえない時期があった。ある強い女の子が居て、私と話をしたら仲間外れにすると条例がひかれたようだ。私は両親と担任の先生に相談したが、先生は時間をかけて良く話を聞いてくれ、状況判断に時間をかけ、解決に向けて、じっくり取り組んでくれた。今のように即「イジメ」と捉え即座に何か対処する、という事ではなかったが、私はとにかく両親と先生は良く解ってくれている、ちゃんと見ていてくれていると信じられたので、その数ヶ月は確かにとても辛かったけど、耐える事ができた。徐々に数人の子が、陰で「ゴメンね。ホントはこんな事したくないんだけど・・・」とコッソリ私に話しかけてくれる子も出てきた。最終的には女の子だけ集まって話合い、お互い謝って普通に戻ったが、私の中では当時の事は、初めて体感した社会の縮図として教訓となっている。
子供はけんかをしたり、間違ったり、調子にのったり、反抗したり、それが学びなのではないだろうか?
それを出来ないで大きくなる大人の方が、はるかに恐ろしい。
決してイジメを認める事ではなく、決して体罰を認めるわけではないが、もっと大らかに子供達の学びをとらえる寛大さが、現在必要なのではないか?連日のような報道が流れる現在は、子供達も先生も父兄も皆が、警戒包囲網の中、過さなくてはいけない社会風潮になっている。
同じ事象をどう捉え報道するかは、大きな社会的影響を及ぼす重大な責任があることを国とメディアは良く考えて欲しい。