有償の価値観

「あなたは何に対しては有料で、何に対しては無料と判断しますか?」の価値判断。形在る成果物に対しては有料を認めるのは一般的かもしれないが、情報・知識に対しての対価をどれ位、認める事ができるだろう?
端的に言えば、今すぐ必要な情報・知識は今すぐお金を払ってでも欲しい!と思う事はある。しかし、目の前の今すぐ絶対に必要とは言えない情報や知識を得るのに対価を認める意識というのも、今の世の中、非常に大切かと思う。
特に、これだけ情報が目を開ければ、自分の意思とは別に勝手に流れ込んでくるこの現代で、自分にとって大切で欲しい情報を対価を払って取りに行く!という意識を持てるか持てないかは、一個人として大きな格差となって現れると思う。
何故、人は絵画を美術館へ行って入観料を支払って鑑賞にいくのであろう?ピアノの調べを鑑賞にコンサート会場へ入場費を払って出かけるのだろう。
情報や知識に価値を見出す人達を募って有料にするイベントやフォーラムはいけない事だろうか?
誰しもが平等に知り得なければいけない情報は無料にすべきと思うが、価値観を同じくする者を対象とする有益な情報・知識は有料であって良いと思う。
イベントやフォーラムを企画するに辺り、周囲の従来の概念や常例と色々ぶつかる場面がある。
北朝鮮が核実験をとうとう実施した。これからの国際情勢の動向により、我々にも色々な影響が及んでくるであろう。何が真で何が偽なのか?何か必要で何が不要か?の判断能力が益々、個人に問われる複雑な時代に入ってくるだろう。無償な自然の流れに任せた情報と知識の範囲内でしか判断せず、情報操作で容易く左右される日本人が、これ以上多くならない事を願う。