段取り八分

中学生の息子が中間テストまでの勉強スケジュールを立てた。しかし夫と一緒に。本当は、自分自身が目標を持ち、達成させたいと思う意思からスケジュールをたて、自分で決めたことを自分で守る!とすべきだろう。「いつまでも、しょうがないな〜〜」と思う反面、そういう私だって、この歳になって自分の目標の為のスケジュールをたてられるようになったのは、つい最近になってからなのではないか?と思える。中学生の時期に、「目標を持ちなさい。」「スケジュールを自分でたてなさい。」といって、クリアできる優秀なお子さんも沢山いるだろうが、まだまだ目標が定まらず客観的にスケジューリングする事を困難に思う中学生が殆どではないだろうか?これはトレーニングを、どれだけしてきているかによるのだと思う。困ったり、疑問に思ったりする気持ちから、「こうしたい!」という目標を持ち、「そうする為には?」という達成の為のプロセスをスケジュールする。こういうトレーニングを、事ある毎に繰り返して、思考として身につけ、それをごく自然な事として実践していけるようになるのだと思う。
良く「段取り八分」という言葉がある。仕事が上手くいくかどうかは、成功の全体イメージをしっかり持ち、成功する為のプロセスを組み立てていけるかどうかに、かかっている。という事だ。この「全体のイメージ」「プロセスの組み立て」ができるようになるまでに、多くの経験と知識と試行錯誤が必要に思う。「失敗」も大いにする事だ。
今の日本の社会には、子供にも大人にも、このトレーニングを繰り返す余裕が無い。学校でも企業でも、成果主義の結果重視社会だ。というか、急速に進んだデジタル・情報ツールにより、既にプロセス思考の不要な状態で、結果が出てしまう世界が実現している。そして、それを良しとして、何の疑問も持たず結果を産出している社会は『人』主体ではない危険な社会のしくみだ。『人』が本当に危ない!!
もっと、ゆっくり「段取り八分」を身につけられる失敗を沢山できる社会でなければ、「だって道具が無いから、できな〜〜い!」とごく普通に主張する日本人が溢れるのは、もう間近のことだ。良いじゃないか「段取り八分もどき」がやっとできるようになったのが、この歳になってしまっても。。と私は想うけど。。