評価と失敗

ある事に何度もチャレンジし、なかなか評価を得られないとき、それを人は「失敗」と言うだろうか?
「結果」を出さなければ意味が無い。「全ては結果」と仕事の世界では、それが現実だ。
「失敗は成功のもと」とか「失敗の数だけ成功に近くなる」とか、『失敗』から『成功』へと導く言葉は多い。そして、人には良くそんなことを言うし、自分でも奮起する時には自分自身にそんな言葉を投げかけるものだ。
でも実際、チャレンジを何度も繰り返し、成功への光も見えない時、「自分だけで空回りしているのではないか?」「ただの思い込みじゃないか?」「能力がないのではないか?」強いては「無駄な努力じゃないのか」「一体、何のためにやっているのか?」とこうなっていってしまう。
「評価」を得られない時、自分では「失敗」したと思ってしまう。地の果てまでも、どん底に落ち込む。あとどれだけ、こういう思いを繰り返せば良いんだろう・・・?と。。
でもでもでも、、、、だ。。。
「評価」は他人がするもので、「失敗」かどうかは自分が判断するもの。「評価」を得られなかった、そこに至るまでのプロセスは、失敗した本人しか分からない事で、本当はそこが大きな『宝』ものなのだと思いたい。
ある人に「でも、やってて楽しいでしょ?それで良いじゃない。。」とあっさり言われた。確かに楽しい。チャレンジしている課程は苦しくもあるが、それ以上にワクワク生きる力がある。
そうだ、誰も知らない自分だけの『宝』がそこには確かにある。Aは右の評価がペケでも、そこからA´にすれば左では、高い評価を得る事は大いにあるわけで。。
「評価」に一喜一憂しているようじゃ、まだまだ。。。
でもでも、ここが肝心。自分はどこに「結果」を持っていくのかだけは、決して目をそらさないように。。