女性の地位

ある方が「男女参画の会議に、出席した時、女性からの主張の多くが『女性の地位』という事だった。でも、女性の地位って、何を持って地位というのかね?」とおっしゃっていた。
女性が大臣になれる事。女性が企業の取締役役員に昇格できる事。女性が産休育休託児付きの保障のある職場で働ける事。これらは、確かに女性が社会的に活躍できるステージではあるが、「ステージがある=地位向上」では、全くないと思う。
長い日本の風土の中、男尊女卑に対し、社会制度改善運動を起してきた時代の女性達のパワーと功績は偉大だと思う。改善すべき制度は、ちょっと前の日本には多くあった。
しかし、それらを吐き違えて、本来の女性として生きる使命、もっと言えば、女性だからこその幸せも、見失ってしまっているのが、現代女性なのではないか?と常々思っている。
女は本来は、ワガママな動物かと思う。女は辛抱強い、というイメージだが、一皮むけば執念深く、嫉妬深く、あれもこれもやりたい事だらけ!は、どの女性も共通遺伝子ではないか?と思う。仕事も続けたいけど、結婚をして子供も欲しい。中華を食べたいけど、その後、ケーキも食べたい。北海道も行きたいけど、ビーチでも泳ぎたい。のんびりの田舎暮らしも良いけど都会の刺激も欲しい。。などなど。。
これは、女性も男性も同じかもしれないが、男尊女卑社会が改善された女性に優しい今の日本では、この自由をはき違えたワガママ主義を大いに発揮しているのが、現代女性の姿に思う。私は、どうも女性の資質は、この自由さと逆行しているように思えてしまう。
規制された昔の社会で、知性と教養を備えて、しっかりした女性の地位を築き上げた女性は多くいる。
私の母校の大妻中学高等学校は、大妻コタカ先生という女性の創設者だ。
大妻の校訓は『恥を知れ』。どの教室にもこの言葉が書かれた額が掲げられている。大妻コタカ先生曰く、この意味は「これは決して他人に対して言うことではなく、あくまでも自分に対して言うことです。人に見られたり、聞かれて恥ずかしいことをしたかどうかと自分を戒めることなのです。」
その他にも、「日常の五心」「ハイという素直な心。すみませんという反省の心。お陰様でという謙虚な心。ありがとうという感謝の心。私がしますという奉仕の心。」や「らしくあれ」という教訓も掲げられ、授業の中でも時おり先生方はその教えを私達生徒に指導してくださっていた。現在の中学・高校で授業中このような教えをしてくださる先生が、どれ程いるのだろうか?
社会的権利の主張にともなった、義務や使命の認識は、現代の女性に備わっているのだろうか?
女性の地位とは、男性社会に乞うものではなく、女性自身にあるものなのではないか、と思う。