己との対面

人に会えば厳しい話しか出てこない昨今。しかし、だからと言って本当に何もできないのだろうか?ただ嵐が過ぎ去るのを、じっとチンマリと何もせず縮こまっているのが得策と言えるだろうか?
経済の事とは関係なく、生きている中には、自分の意志とは関係なく予期せぬ事態が突然襲ってくることがある。病気・事故・事件・災害などなど、私達はいつ、急な予期せぬ事態に襲われるかと背中合わせに生きている。
予期せぬ事態に襲われた時、人は何をすべきか?何ができるか?
例えば、予期せぬ病気をある日突然宣告されたとする。それを自分の中で認識するまでには、相当の時間がかかり、幾度も幾度もあらゆる想いが交差し、考えが反復し、仕舞いには「もう考えるのに疲れた。。」という状況になる。そこまで反復し苦しまなければ、前に出せる一歩が、どうにもこうにも出ない。
私は、この苦しみ無くして次なる一歩は決して踏み出す事など、どんな人であろうとも出来ないのではないか?と思う。いや、直ぐに転換を図れる人もいるかもしれないけれど、この「己と対面」する、この「苦しみの時」こそが、とても貴重なことなのだと思う。逆を返せば、そういう事態にならなければ真に「己と対面」する事は通常なかなかできないものだ。
自分を含めての戒めだが、今この状況下、経済のせい、政治のせい、会社のせい、親のせい、先生のせい、子供のせい、隣の人のせい、を口にしている「自分」があるとすれば、その反面「自分はどうなのか?」を省みるべきなのでは、、とこう書きながら自分を戒めたい。
人は、そんなに強くない。私なんかいつも「もう〜〜〜!!」「まったく〜〜〜!」と、お恥ずかしながら文句ばっかり言っている。でも、寝る前、お風呂に入っているときだけでも良い、ちょっとした時に、少しでも「己との対面」の時を持つことが大切だと、肝に銘じたいものだと思う。