都会の貧しさ

中3になる息子は、先日学校からもらってきた進路希望の将来の就職について「東京で働く」と書いた。今も昔も地方から見ると、東京はキラキラして見えるのは同じ様だ。
しかし東京から離れ長野で過して16年、仕事や遊びには良いが、また東京で暮らしたいとは思えない。
先日、出張で行った際、新宿三丁目の地下にあるレストランでランチを食べた。セットでついてきたサラダは、レタスのみ。そこにドレッシングがかかっているだけ。ちょうど、その数日前に自宅から車を30分走らせた農園に隣接してワイナリーとレストランのある場所へランチに行った時の事と比較してしまった。料金は同じ位で、そこで出てきたサラダは季節の野菜やハーブが何種類か入ったものだった。
そして新宿地下レストランの中にある大スクリーンには、森林や山川の自然を映した映像が繰り返し流れており、スーツ姿のおじ様方は、そのヒーリング映像を見て召し上がっていた。自宅近くのレストランでは、ハーブ農園を散策できる様になっていてオープンスペースで景色を楽しみながら食事ができた。
ある東京の某企業では、訪問した際、受付に小さなモニターが設置してあり、そこにもやはり森林や滝の映像が待っている間のヒーリング映像として流れていた。
息子は、東京から帰ってくると、よく「ホントに人が少ないネ。歩いている人、ホントに少ないもんね。」と言うが、私から言わせれば「その方が絶対イイじゃない。」と思ってしまう。
情報が多くて、切磋琢磨でき、展開スピードの速い都会に憧れる息子の気持ちも良く分かるが、一方ランチライムを地下レストランで食事をしながら自然ヒーリング映像で癒すしかない都会の貧しさも、いつかこの子も身を持って知る時が来るのだろうと思う。
こんな小さな国ニッポンなのに、この格差って何でしょ?次の仕事先まで車を走らせながら、目の前に広がる山並みを見ながらアレコレ思います。