中心市街地活性化って

今日、経産省主催で市政関連が連携した「中心市街地活性化シンポジウム」があり参加した。
多くの都市が課題としていると同様、わが町も郊外に大型スーパーが作られ、所謂従来の中心市街地と言われる商店街はシャッター通り、空き店舗だらけの町となっている。そして古くからその土地に居る人達も土地を手放し、挙句の果てには高層マンション建設へと。高額で中心市街地のマンションに入居した人達は、車に乗ってわざわざ郊外の大型スーパーへ買い物へ行くという、何とも摩訶不思議なライフスタイルの町になっているのが現状だ。
今日のシンポジウムでは「コンパクトでにぎわいのあるまちづくり」というサブタイトルとなっていた。「にぎわいのあるまちづくり」「町の活性化」とは一体何でしょうか??
この手のテーマの多くの場合「地域資源を活かした観光化」という話に持っていかれがちだ。しかし、どうなのだろうか?住んでいる住民が住みづらい町が、どうして外から人が集まる魅力的な町にできようか?と私は思うのだ。
観光がどうの、という前に、もっともっと大切な肝心な事は、今現在住んでいる住民達が暮らしやすい町にすべきことなのではないだろうか?どうしたら、暮らしやすいかは、一つ一つ上げて、一つ一つを叶えていけば必ずできるはずで、決して難しくはないはずなのに、なのに皆そこを疎かにし、外目ばかりの話をしている。
子供に買い忘れの卵を気軽に頼める所に食品店が無い町に、いくらライブハウスのできるカフェバーを作っても、年に何度かのイベントをして人集めしたってダメなのだ。
お年寄りが大きな買い物袋ぶら下げて、大型トラックとすれすれの道を歩いているような町に、コミュニティーサロンという名の広いスペースを作ってもダメなのだ。
ねぎ一本買うのに、最階上の屋上まで車を登らせ、エレベーターで1階まで降り、遠くの端から端まで歩かなければならない大型店が、どうして買い物しやすいお店と言えるだろうか?
私達の日常をちょっと見返しただけでも、住み良い町にするためにできる改善の余地は沢山あるのに、どうしてそこに手を付けず、ポーンと違う方ばかり視点を持った話ばかり先行するのだろう?
中心市街地に暮らし、中心市街地で買い物もせず、中心市街地を通勤通学で歩いていない人達が「タウンブランド」とか「まちづくりコーディネート」とかと言っている姿をみると、お隣に住んでいる毎日遠くのスーパーまで買い物行っているお婆ちゃんをパネルディスカッションのパネラーとして、その場に参加させたいようだ。。。
「まちづくり」も「ものづくり」も同様。もう、いい加減自分達の足元に立ち戻った、地に足のついた見方をしなければいけないのではないだろうか?